和歌山のパン屋の話を見て | Museo Kircheriano

和歌山のパン屋の話を見て

今朝、ニュースで焼きたての風味が自宅で手軽に出来る、冷凍のパン生地の話が
あった、作ったのは和歌山県のパン屋の親父が、結構色々な試行錯誤を経たらしく、
普通にパンを作るのとは、ちょっと違うところがいくつもあるようだ。
最後の工夫のところで、ナレーションでは「この製法は特許出願中をしているそうです」
と言いながら、パン屋の親父さんは「企業秘密なので見せられません」と
秘密の部屋の奥にフェイド・アウトした。


思ったのは、世の中って、明らかに「特許を勘違いしている」ということ。
特許が出願されれば、認定されようと、されまいと一定期間後に公開される。
中国あたりの特許ゴロは日本の特許公開を見て、自国で特許出願したりする
モノもあると聞く。


特許の内容は、誰でも見られるものなんだから。
パン屋の親父さんとしては、簡単に苦労の結晶を見せたくないかもしれないが、
多分、誰でも見られるようになっているはず。
見せたくないなら、武道の奥義とか、秘伝のような形で秘密にでもすればいい。
事実、テレホンカードは、海賊版を恐れて、内容の特許を出していない。
見せないとは、こういうことだ。


特許は、イギリスに起源があるが、ビクトリア・インベションの頃に誰もが発明を目指していた時代に、
発明者の権利を守るものとして作られ、同時に発明の次の発明を奨励するために、公開されている。
その頃から、実際内容は変わっていない。
科学というものが、他の発見や発明によってスパイラルに次の発見や発明を構築していくモデルだという
ことが、よく分かっていたからなのだろう。


妙な事かもしれないが科学は、共産主義的とも言える。


ところが、特許の現実はだいぶ様相が異なる。
独占するためとか、相手の邪魔をするために使うことがほとんどで、奨励とはほど遠い。
特許を作ろうとかいうレベルの本からして、独占とか、優位に立つとかしか書かれていないのが、
当たり前。
そんな現状を考えると和歌山のパン屋の親父が、企業秘密は見せないと言うのも成り行きである。
NHKの取材班が、特許を出願していれば、企業秘密を誰でも見られるよと言わなかったのだろうか。


もしかして、知らなかったのかも知れない。

特許がらみで法律の仕事をしている人間は、全て死んでしまえ。
これが、個人的な感想